すみまよ日記

日々感じたことや読んだ本の感想など

どれが名作なのか私にはわからない

「あれは名作だった」を教えて!というのが今週のお題らしい。

 

名作の意味を調べてみたら「すぐれた作品」「有名な作品」「名高い作品」なのだとか。たぶん夏休みの宿題の読書感想文で、課題図書になるような文豪の作品がそうなんだろうな。

 

本でも映画でも、みんな「あれは名作だった」と、どこで判断するのだろう。その作品のどこが「すぐれている」のか説明できるか否かという点だろうか。

 

私は今まで自分が目にしてきた様々な本や映画について、おもしろかったところや、なぜその作品が好きなのかは説明できる。でもどれが「すぐれている」かなんて全くわからないし判断できない。

 

「すぐれている」というのは、他のものと比較して勝っている状態をいうが、私には比較なんてとてもできない。そんなこと、同業者や評論家じゃないと無理なのではないかと思う。

 

なぜエラーした選手を執拗に映すのか

あるプロ野球の中継で、エラーした選手の顔が何度も何度もアップで映されていた。

その選手はその日、1試合に3つのエラーをして途中交代し、翌日スタメンから外れた。

翌日の試合では、昨日途中交代した選手がスタメン出場していた。

その選手がタイムリーヒットを放つと、また昨日エラーした選手をアップで映していた。

「ほんと、しつこいよねー」「いい加減やめたらいいのにね」なんて言いながら家族と見ていた。

どのテレビ局の中継でも、こういう光景を目にする。

ひどいときには、攻守交代してその選手がベンチに戻るまで追い続け、ベンチに戻ってからもタオルで汗をぬぐったり水分補給する様子まで、ずーっと映していることも。

なぜ、こんなことをするんだろう、といつも思う。

皆さん、エラーしたのは、この選手ですよ!よく見て覚えてくださいね。この人のせいで、点を取られたんです!と言わんばかりに見えてしまう。

そのくせ、同じ局の別の番組では、選手への誹謗中傷はやめるべきなどと訴えている。

その意見には大賛成だけど、じゃあなんでエラーした選手を執拗に映すんですか?と聞きたくなる。

 

読書感想文って、こー書けばいいんだ!

昨日、読んだ本の感想をたった1行しか書けなかった。感想って、どうやって書けばいいんだろう。何かヒントがないかと検索していたら、こんなnoteをみつけた。

 

文筆家の「ことばと広告」さんが、ご自身の運営するメンバーシップの会員から「本をいただいたけれど、どうやって感想を書けばいいのか」と相談され、それに回答されている。

 

note.com

 

しれっと「読書感想文の書き方」はじまってますね。そうだな~、これもほぼ経験なくって。過去にも1~2本あるかないか・・・なんとなく「読書感想文」って聞いた瞬間に、魅力半減しません?ああ、本読んだ感想なんだな~って。ワードがよくないのかな?

 

まず、ここ読んでビックリした。え?書いた経験がほとんどないのに書き方をアドバイスするの?それって、車の運転なんてほとんどしないペーパードライバーが、車庫入れが苦手で上手くできないって相談されて答えるようなもんじゃないの?って。ああだから他のnoteは有料なのに、このnoteだけ無料で読めたのかな?なんて勝手に想像してしまった。

 

それに『「読書感想文」って聞いた瞬間に、魅力半減しません?』っていうけど、私はそうは思わない。自分の書いている感想については全くその通りだと思う。でも、はてなブログには魅力的な読書感想を書いている方々がたくさんいる。だから、この意見には同意できない。

 

でも、この後に続く回答は参考になった。

 

そうかも、やっぱねー「感想」が読みたいんじゃないんです。

そこからあなたが考えたことが読みたい。心震えた一文を教えてほしい。で、どんなメッセージを受け取ったのか。今日からどーしようと思ったのか?アクションを聞かせてほしい。

 

なるほど。振り返ってみると、確かに今までの感想は「おもしろかった」「次回作も読んでみたい」で終わっていた。今度書くときは、どんなメッセージを受け取ったとか、読後どうしようと思ったとか、自分の考えをまとめてから書いてみよう。

 

おもしろかった、感動した、また次も読みたい!うれしいですよ。そりゃ、書いたもん褒められるのはうれしいです。

でも、そこをもう一歩踏み込めば。著者と握手できると思う。ようは「熱」ってことかな?静かな読書感想文もいーけど。感じて、心動いたってことは、そこにFever(熱狂)があるはずなんで。それをぜひ、あなたの生の言葉で届けてほしい。整ってなくていいんで。

 

なんでFever?「熱狂」じゃだめなの?などと、どうでもいいことが気になってしまったが、逆にもし読み進めるのに時間がかかったとか、心なんかちっとも動かなかったんだとしたら、なんでそうなったのか踏み込んで考えたらいいのかもしれない。

 

たった1行しか感想書けなくて、もう読んだ本の感想なんか書くのやめようかなーなんて思っていたけど、このnoteを参考にまた書いてみたくなった。

 

 

タンザニアのビジネスマンの生活が、日本にいると知らないことばかりでおもしろかった

タイトルは小川さやかさんの『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』を読んだ感想。一言で終わってしまった。

 

 

チェコ好き(和田真里奈)さんの『女の人生をナナメから考えるブックガイド』という連載の記事を読んで、面白そうだから読んでみたいと思った。

 

am-our.com

 

本を読んでいくと驚くのが、「誰も信用しないから信用できる」というような、雑然としたシステムである。チョンキンマンションで信用するのは「人」ではなく、「状態」だ。たとえば同じ人間でも、お金に余裕があるときは信用できるし、ちょっと困っていそうなときは危ないかもしれない。常に信用できる善人も、常に信用できない悪人も、そこにはいないのである。貸した金は、状態が良くなれば返ってくるかもしれないし、良くならなければ返ってこないかもしれない。誰もが置かれた状況によって豹変する可能性を内包しているため、他者に対して「彼は【今は】いいやつだ」という評価しかしない。日本の文化にどっぷり浸かっている身としてはなかなか理解しづらい感覚だが、小川さんはそんな彼らの暮らしに「ゆとりがある」という感想を抱くのだ。

 

へぇ、これがどうして「ゆとり」につながるの?と思って読んでみた。

けれど、いまいち理解できないまま読み終えてしまった。

本書のおもしろさは、チェコ好き(和田真里奈)さんの書評に、すべて書かれている。

こんなに「読んでみたい」と思わせる書評が書けるなんて本当にすごい。

 

空席があっても隣に座られないよう立っている

空席が複数ある電車内で、男性客が女性客の隣に座ることについて、Xで論争になっていたらしい。

この記事を読んで、もう30年も前の話だけど、電車内で痴漢にあったのを思い出した。

 

news.yahoo.co.jp

 

まだ発車時刻まで余裕があり、空席の方が多い状態の電車内で、一人の男性が私の隣に座ってきた。

え???こんなにたくさん席空いているのに、なんで???

しかも、自分のコートをまるで布団のように体にかけている。

それが私にもかかっていて嫌だなぁと思ったし戸惑ったけど、すぐに他の席に移ったら、いかにも隣に座られるのがイヤです!って態度に見えて失礼かな?と思い、しばらくそのまま座っていた。

そのうち、男性がいびきをかき始めた。

今だ!起こさないようにして他の席に移ろう!そう思ってバッグを抱えたら、なんとコートの下で私の右太ももを触ってきたのだ。

男の手がさらに内側に入ろうとしたので怖くなり、逃げるように電車から降りたのを覚えている。

なんであのとき、すぐに席を移動しなかったのだろう。

寝たふりをしていただけなのに、すぐに移動したら失礼かも?とか、起こさないように移動しようなんて考えた自分が、ひどいマヌケに思えて悔しくて悔しくてたまらなかった。

それ以来、電車内では空席があっても座る気がしなくて、立ったままでいることが多い。

記事にある男性の言い分も理解できるし、私に痴漢をした男のような人はほんの一部なんだろうと思う。

でもあのような経験をすると、空席があるのに隣に座られるという状況を作りたくないし、そうならないための対策を考えてしまう。

 

 

「おすすめ」ありがとうございます!

先日、突然スターやお知らせの数がグーンと増えていました。

いったい何が起こったのか?と驚いていたら、はてなブログ編集部さんに「おすすめ」としてご紹介いただけたようです。

 

 

まさか「おすすめ」に掲載していただけるとは思ってもいなかったので、本当に驚きました。

「静かに過ごせる美容院。コーヒーも熱すぎずぬるすぎない」

って、私もこの前似たようなこと書いたなぁと思いながら、ふとタイトル見たら自分のブログでビックリ!

ただ楽しくマイペースに好きなことを書いているだけなのに、なんだか思いがけないプレゼントをいただいたような、幸せな気分になれました。

ここでご紹介いただいたおかげで、今までよりたくさんの方々に見てもらえたのですね。

スターだけでもうれしいのに、ブックマークや読者登録をしてくださる方もいらっしゃって、本当にありがとうございます!

マイペースでゆるく続けているブログですが、これからもよろしくお願いいたします。

 

 

 

帽子マナー論争と素晴らしい演奏

室内では帽子を脱ぐように言われて育ったけど、挨拶の時はどうだったかなぁ。

そんなことを思いながら、この記事を読んでいた。

 

news.yahoo.co.jp

 

記事によると、ドジャース大谷翔平選手と山本由伸投手が、試合前にドジャーススタジアムを訪れたYOSHIKIさんに挨拶した。

そのとき、大谷選手が帽子を取って挨拶したのに対し、山本投手が帽子を取らないまま挨拶したらしい。

その様子を見ていた一部のファンが、帽子を取らなかった山本投手に苦言を呈し、それに対して山本投手が普段から礼儀正しいのを知るファンが憤り、論争になっていたんだとか。

 

ちなみに、そのときの実際の映像が、こちらで見られます。

 

www.daily.co.jp

 

確かに帽子は取っていないけど、握手する手にもう一方の手を添えていて、そんなに無礼な感じには見えない。

記事では一部のファンの声が紹介されているが、私が一番共感したのはこの言い分。

 

《由伸君は帽子取りましょうね とかなんなん?まじで関係ないやんほんまに誰なん(笑) 帽子取った取らんだけでその人の何が分かるん?まっっっっじでくそ腹立つイライラする止まらん いちいち由伸下げな気すまんの?じゃあ大谷だけ見とけよ》

 

帽子取った取らんだけでその人の何が分かるん?」これ!ほんとこれ!って思った。

仮に自分が人から挨拶される場面があったとして、そのとき帽子を取らないままの人がいたとしても、それで不快にはなりたくないし、それだけでその人となりを判断したくないと思う。

もしかしたら病気とか怪我とか何らかの事情で、帽子を取れない場合だってあるかもしれないし。(山本投手がそうかもしれない、という意味ではない)

 

それにしてもYOSHIKIさんの演奏、聴きたかったなぁ。動画ないかなぁ。

そう思い探していたら、見つけました!

 

www.youtube.com

 

「ENDLESS RAIN」と米国歌、とーーーっても素敵!

しかも演奏後のインタビューまで収録されていて、もう最高!

国歌演奏の際には途中で音響トラブルで一時中断して、また最初から演奏しなきゃいけなくなるというハプニングもあったけど、即興演奏で対応していてかっこよかった。